偽善というのも、善

023rd 12月 2009コラム

King Edwards Memorial Park
Creative Commons License photo credit: The Feel Good Drinks Company
今日募金をした。

100円と小額だがいい気分になった。
いい気分を100円で買ったとも言える。
1000円出せば、もっといい気分だっただろう。
しかし、1万円となるとワケが違う。
いい気分と同時に、後悔を感じるだろう。
むしろ、後悔の方が大きいはず。
思えば、1000円入れず100円で留まったのは、「もったいない」がちらついたからだ。
1000円入れていたら、いい気分の方が大きかったにせよ、後悔も感じていたはずだ。
ということは、きっと適正募金額というのが僕の中にあるはずだ。
年収やその時の財布事情にもよるだろうが、今現在の僕ならいくらまで行けるか。
子供の頃、100円といえば1日中遊べる大金だった。
500円なんて、大人のコインだと思っていた。
しかし、今日100円はスムーズにいけた。
もう、100円で1日遊ぶ事は出来ない変わりに、100円よりも大きな大人に成長する事が出来ていると感じた。
では、200円ならどうか。
200円でも大丈夫だ!
今日は、100円玉が1枚しかなかったのだ。
本当は
「100円じゃ悪いからもう一枚」
と思っていたのだよ。
でも、なかったから仕方がない。
200円はクリアだ。
300円ならどうか。
その時、募金活動をしている人は3人いた。
一人一人に100円づつ入れたら、どんなに気分がいいだろうと思った。
だから300円も入れ方次第ではクリアだ。
400円ではどうか。
そろそろ、大金だ。
雑誌が買えそうな値段になってきた。
400円いけるだろうか。
いや、いけるね。
財布から300円取って、あと100円入っていたら、もう勢いで入れるね。
その後も別に後悔は生まれない。
思い切った分、よりスガスガしいだろう。
財布の中も整理できたと割り切れる。
400円はいける!
ではでは、500円。
これはデカい。
白状すると、よっぽどではない限り1000円はムリ。
なぜなら僕は1000円で1日遊べる自信があるからだ。
1000円よりは大きな大人になれていないのだ。
1000円いけないとなると、500円は一つの大きなターニングポイントであり、高いハードルである。
500円いけたなら、900円までいけそうな気がする。
500円は、大金だ。。。
今日僕の財布には500円玉が入っていた。
500円出す事も出来た。
しかし、そうしなかった。
もったいないというよりも、
「この程度の募金活動なら100円だな」
という考えになったのだ。
この募金活動は、「社会福祉共同募金」となっていた。
募金したお金は、社会福祉に使われるという事なんだろうケド、社会福祉ってなんだ?
ワクチンを買うとか、盲導犬を育成するとかそういう募金なら、使途が明確なので心も動かされやすい。
でも、社会福祉だとぼんやりしているから、そこに大金は注げなかったのだ。
きっと、500円入れてもいい気分にはならなかったと思う。
というわけで、僕の日常募金限度額は400円という事になる。
もっと感心のある募金活動なら、900円まではいけるかも。
僕が金で買える「無償のいい気分」は、900円分くらいなんだなぁ。
そういえば、昨日ライアーゲームというドラマで
「自分が満足するために、人の為に働く事は偽善です。」
というようなセリフがあったが、偽善という言葉は難しい。
もし、僕が募金しても何も感じないとしたら善なのだろうか。
僕がもし誰かに助けられたら、その人が喜んでくれた方が嬉しい。
いやいや助けられてもつまらないからな。
偽善というのも、善なのでは。

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偽善というのも、善

12月232009

King Edwards Memorial Park
Creative Commons License photo credit: The Feel Good Drinks Company
今日募金をした。

100円と小額だがいい気分になった。
いい気分を100円で買ったとも言える。
1000円出せば、もっといい気分だっただろう。
しかし、1万円となるとワケが違う。
いい気分と同時に、後悔を感じるだろう。
むしろ、後悔の方が大きいはず。
思えば、1000円入れず100円で留まったのは、「もったいない」がちらついたからだ。
1000円入れていたら、いい気分の方が大きかったにせよ、後悔も感じていたはずだ。
ということは、きっと適正募金額というのが僕の中にあるはずだ。
年収やその時の財布事情にもよるだろうが、今現在の僕ならいくらまで行けるか。
子供の頃、100円といえば1日中遊べる大金だった。
500円なんて、大人のコインだと思っていた。
しかし、今日100円はスムーズにいけた。
もう、100円で1日遊ぶ事は出来ない変わりに、100円よりも大きな大人に成長する事が出来ていると感じた。
では、200円ならどうか。
200円でも大丈夫だ!
今日は、100円玉が1枚しかなかったのだ。
本当は
「100円じゃ悪いからもう一枚」
と思っていたのだよ。
でも、なかったから仕方がない。
200円はクリアだ。
300円ならどうか。
その時、募金活動をしている人は3人いた。
一人一人に100円づつ入れたら、どんなに気分がいいだろうと思った。
だから300円も入れ方次第ではクリアだ。
400円ではどうか。
そろそろ、大金だ。
雑誌が買えそうな値段になってきた。
400円いけるだろうか。
いや、いけるね。
財布から300円取って、あと100円入っていたら、もう勢いで入れるね。
その後も別に後悔は生まれない。
思い切った分、よりスガスガしいだろう。
財布の中も整理できたと割り切れる。
400円はいける!
ではでは、500円。
これはデカい。
白状すると、よっぽどではない限り1000円はムリ。
なぜなら僕は1000円で1日遊べる自信があるからだ。
1000円よりは大きな大人になれていないのだ。
1000円いけないとなると、500円は一つの大きなターニングポイントであり、高いハードルである。
500円いけたなら、900円までいけそうな気がする。
500円は、大金だ。。。
今日僕の財布には500円玉が入っていた。
500円出す事も出来た。
しかし、そうしなかった。
もったいないというよりも、
「この程度の募金活動なら100円だな」
という考えになったのだ。
この募金活動は、「社会福祉共同募金」となっていた。
募金したお金は、社会福祉に使われるという事なんだろうケド、社会福祉ってなんだ?
ワクチンを買うとか、盲導犬を育成するとかそういう募金なら、使途が明確なので心も動かされやすい。
でも、社会福祉だとぼんやりしているから、そこに大金は注げなかったのだ。
きっと、500円入れてもいい気分にはならなかったと思う。
というわけで、僕の日常募金限度額は400円という事になる。
もっと感心のある募金活動なら、900円まではいけるかも。
僕が金で買える「無償のいい気分」は、900円分くらいなんだなぁ。
そういえば、昨日ライアーゲームというドラマで
「自分が満足するために、人の為に働く事は偽善です。」
というようなセリフがあったが、偽善という言葉は難しい。
もし、僕が募金しても何も感じないとしたら善なのだろうか。
僕がもし誰かに助けられたら、その人が喜んでくれた方が嬉しい。
いやいや助けられてもつまらないからな。
偽善というのも、善なのでは。